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熊本県の阿蘇地域では、「千年草原」とも呼ばれる広大な草原が、野焼きや牛馬の放牧など、人の手が加わることで長きにわたって維持されてきました。自然観光資源をインバウンド誘客につなげ、その収益を環境保全に役立てる……。この循環はいかにしてつくられたのでしょうか。阿蘇市経済部まちづくり課の石松昭信氏、「WakuWaku OFFICEあそBe隊」代表の薄井良文氏、「道の駅阿蘇」駅長・NPO法人ASO田園空間博物館マネージャーの下城卓也氏にお話を伺いました。

対象地域
熊本県・阿蘇市
面積
376平方キロメートル
総人口
24,930人(令和2年時点)
主要観光資源
阿蘇山、仙酔峡、大観峰、草千里ヶ浜、温泉、史跡、社寺等
公式サイト
https://www.city.aso.kumamoto.jp/

目次

【プロフィール】
石松昭信(いしまつ・あきのぶ)
旧阿蘇町時代に、“道の駅阿蘇”構想、 “ASO田園空間博物館”の組織化や設立に携わる。現在も第一線で持続可能なまちづくりの取組に尽力。
薄井良文(うすい・よしふみ)
元阿蘇広域消防山岳救助隊長、元熊本県防災消防航空隊を経て、2015年に「WakuWaku OFFICEあそBe隊」を設立。トレッキングガイドやアウトドアスキル実技指導、リスクマネジメント講義などの活動を実践。
下城卓也(しもじょう・たくや)
「道の駅阿蘇」駅長/NPO 法人ASO 田園空間博物館マネージャー。九州・沖縄「道の駅」連絡会「駅長会」の会長も務める。

 

「牧野」という地域資源を活かし、滞在交流型の観光地をつくる

―阿蘇において、“地域資源・環境の保全”と“観光・まちづくり”が両輪で動き出したきっかけ、経緯について教えてください。

石松氏:“地域資源・環境の保全”という面では、約30年前にスタートしました。地元の民間事業者が牧野組合に使用料を支払って草原に入り、パラグライダーなどのアクティビティを提供する取組を始めたのです。観光客が、普段は入ることのできない阿蘇の草原でアクティビティを楽しみ、その参加料の一部が牧野の維持管理費用として還元されるという仕組みは、この頃に始まったものです。

“観光まちづくり”に関しては、2001年に「スローな阿蘇づくり・阿蘇カルデラツーリズム」という取組がスタートしました。「阿蘇カルデラツーリズム」とは、自然や文化に触れるエコツーリズム、地元の暮らしを体験するグリーンツーリズム、まちの魅力を味わうタウンツーリズムの総称で、「滞在交流型の観光地域づくり」を目指した取組です。

阿蘇は昔から何万人という観光客が訪れていましたが、従来は“通過型”の観光地でした。阿蘇山の火口や大観峰には大勢の観光客が訪れるものの、宿泊は別府温泉や湯布院温泉というケースが多かった。そのため、地元商店街はさびれ、農村集落にも活気がなくなっていました。

そこで、地域づくりと公共交通機関の再編を組み合わせることで、阿蘇山を訪れる観光客に周辺地域にも滞在してもらい、活性化につなげようと考えたのです。具体的には、地域住民向けの路線バスを、観光客にもわかりやすいよう阿蘇駅を起点とする循環ルートとして再整備し、バスの待ち時間に沿線の商店街で楽しく過ごしていただける仕組みづくりをしました。

その成功例のひとつが、阿蘇神社の横参道にある門前町商店街です。地元の湧き水を観光客も利用できるようにしたり、そこでしか味わえない食の開発・販売をしたり、桜を植えて街並みの整備をしたり、イベントを開催したりすることで、多くの観光客でにぎわうようになりました。昔は観光客にとっての目的地は阿蘇神社だったのですが、いまでは商店街を目指して来訪されるお客様が増えています。

 

観光ビジネスと自然保護を両立させる「サステナブル・ツーリズム」の取組

大観峰から広大なカルデラと阿蘇五岳を望む

 

その後、熊本地震が発生した2016年に、環境省が“国立公園満喫プロジェクト”をスタートさせました。これは、日本の国立公園を世界水準の旅行目的地にしようというプロジェクトです。その先導的モデルとなる8公園のひとつに“阿蘇くじゅう国立公園”が選定された際、公園ごとの具体的な取組方針を記載したステップアッププログラムの中で、草原を自転車で走る“草原ライド”を提案して大きな話題を集めました。

このような経緯を経て、阿蘇の“地域資源・環境の保全”と“観光・まちづくり”を両輪とする活動が本格的にスタートしたのです。

― NPO法人ASO田園空間博物館、「WakuWaku OFFICEあそBe隊」の活動について教えてください。

下城氏:NPO法人ASO田園空間博物館では、阿蘇市全体を“屋根のない博物館”に見立て、自然と人々が織りなしてきた有形・無形の地域資源を保全活用することで、地域の素晴らしさを内外の人たちに体感してもらい、次世代に継承していこうという「阿蘇版エコミュージアム構想」を実現するための活動を行っています。もともとは、地域住民がガイドとなって郷土料理でおもてなしをしたり、参加者と一緒に農業体験を行ったりする「阿蘇市をさるこう!」という地域散策ツアーを行っていました。

その中で特に“「牧野(ぼくや)」”という地域資源にスポットを当てたのが、2018年に始まった“牧野ガイド事業”です。牧野を管理する牧野組合、行政と相談して活用ルールを定め、そのルールに則って活動するガイドを育成・認定する仕組みを整備しました。観光客に負担してもらう草原保全料を環境保全に役立てるというシステムも、この流れの中でできたものです。

その後、牧野を活用したアクティビティの提供に発展しました。当初はマウンテンバイクとトレッキングだけでしたが、その後もトレイルランやグランピングなど多くのアクティビティを実施しています。最近ではウェディングフォトの撮影や修学旅行向けのアクティビティも開始し、人気を集めています。

薄井氏:私は2015年に、阿蘇をフィールドにアクティビティを提供するプロフェッショナルのガイド集団「WakuWaku OFFICEあそBe隊」を立ち上げました。当初は草原トレッキングや源流トレッキングが中心だったのですが、その後アクティビティの需要が高まり、石松さんや下城さんからの支援やアドバイスもいただき、現在では電動アシスト付きマウンテンバイクを使った牧野サイクリングや牧野トレッキングを始めました。さらに独自で、ロープを使って溶岩壁を降下するラぺリング、ナイトトレッキングなどのアクティビティを提供しています。

 

観光ビジネスと自然保護を両立させる「サステナブル・ツーリズム」の取組

溶岩壁をロープで降下するアクティビティ「ボルケーノ・ラぺリング」

 

行政の役割は“事業者の方々が活動しやすい環境づくり”

―阿蘇地域では行政と民間が連携して取組を進められていますが、それぞれどのような役割であるとお考えでしょうか。

石松氏:事業の内容や地域に応じてさまざまです。民間が新たな事業をスタートするときには行政がフォローアップする、行政が始めた事業に民間が参加する……。役割分担というよりは「互いに補完し合う関係」ですね。初期の頃は行政が主導するケースが多かったように思いますが、現在では、下城さんや薄井さんのような事業者が直接、地元の方々と交渉をして事業を進められています。“事業者の方々が活動しやすい環境づくり”が、行政の役割ですね。

下城氏:石松さんがおっしゃるように、役割分担を決めて、という感じではないですね。事業の方向性の決定、地域で新たな事業をスタートさせる際の地域への情報提供、予算の獲得は行政が行い、その内容に応じて私たち民間事業者が参入するという形が一般的です。

―阿蘇におけるインバウンド誘客について教えてください。

石松氏:インバウンド誘客を明確に意識し始めたのは、2005年から3年間にわたって、国土交通省の「観光ルネサンス事業(国際競争力のある観光地づくりをするための観光産業向け支援施策)」の対象地域に選ばれ、阿蘇全体で取り組んだことがきっかけです。

従来から進めていた“スローな阿蘇づくり”をベースに、「外国人観光客がひとりで歩いて楽しめる環境づくり」を目指して、インターネット通訳システムの導入や、多言語パンフレットの作成などを行いました。その効果もあって、この頃からインバウンド客が増加し、その後のインバウンド誘客に弾みがついたのです。

下城氏:石松さんたちの長年の努力もあり、阿蘇は日本におけるインバウンドブーム以前から、他の観光地に比べて訪日客が多かったのです。「道の駅 阿蘇」はJR豊肥本線の阿蘇駅に隣接していて、駅前には阿蘇山の火口に向かうバスの停留所があるのですが、ピーク時にはインバウンド客が長い行列をつくっていましたね。それが2016年にはゼロになりました。震災で交通インフラが破壊されてしまったためです。2020年にJRや国道などのインフラが復旧して、東京五輪に向けてインバウンド誘客に意気込んでいた矢先にコロナショックがやってきたという印象ですね。

薄井氏:そうですね。阿蘇山を上空から望む遊覧ヘリやバスの乗り場に100人以上の行列ができていたのを覚えています。今年(2022年)のゴールデンウイークは、国内からの観光客はコロナ前の水準に戻ったかなと感じました。インバウンドの再開が待ち遠しいですね。

 

→ 後編に続きます。こちらからご覧ください

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